北條氏照まつり【2014年10月19日(日)】
第3回 元八王子 北條氏照まつり
北条氏照と八王子城
八王子城を築いた北条氏照は、小田原に本拠を置く戦国大名北条氏(鎌倉時代の北条氏と区別して、後北条氏といわれる場合もあります)3代目、氏康の次男として生まれました。三男だったという説もあります。生まれた年については、天文9年(1540)といわ
れていますが、ほかにも説があって、はっきりしていません。氏照は子どものころ、多摩や入間・高麗に勢力を持っていた大石氏の養子となって「大石源三氏照」とも名乗り、滝山城へ入ります。こうして、大石氏の領地を北条氏のものにして北条氏の勢力を広げていきました。最大の敵だった三田氏をも滅ぼして北条氏の支配を強めていきます。 そして、氏照は下総・下野へも、領地を広げていきました。他の大名との交渉だけでなく、戦も上手だった氏照はやがて、北条一族の中で中心的な立場に立っていきました。
ところで、八王子城は今の元八王子町から下恩方町、西寺方町にまたがる山に築かれた、戦国時代最大規模の山城です。もともと氏照がいた滝山城は、敵に攻められやすく守りにくい、なだらかな山にありました。永禄12年(1569)には武田信玄に落城寸前まで攻められました。そこで氏照は攻めにくく守りやすい、険しい山に新しい城を築くことにしたのです。この新しい城には八王子権現社がまつられ、城の守り神とされました。そして、この城を八王子城と呼んだのです。 八王子城がいつ築かれたのかははっきりしておらず、元亀から天正初め(1570~1573)、天正6年(1578)ころ、天正10年(1582)以降といろいろな説があります。山の麓には氏照が住む建物が、山頂には戦いのための建物である要害が造られ、城の周りには敵からの攻撃に備えて曲輪と呼ばれる土や石の囲いが造られました。八王子城が築かれると、氏照は滝山城から八王子城に移ってきました。
天正18年(1590)、天下統一をめざして各地の大名を 従わせていた豊臣秀吉がついに北条氏に迫ってきます。6月23日早朝、豊臣軍の前田利家と上杉景勝の数万の大軍が八王子城を攻めました。この時、城主の氏照は豊臣軍との戦いに備そなえて、家臣を連れて小田原に行っており、八王子城にはいませんでした。八王子城に残っていたのは、家臣の横地監物や中山勘解由などのわずかな武士と、農民・職人・お坊さんや、女性や子どもなど3千人ほどでした。このような不十分な戦力では、数万の軍勢にはひとたまりもなく、八王子城は、たった一日で落城してしまいました。八王子城を守っていた人たちだけで、1300人もの戦死者が出ました。追い詰められた女の人や子どもは、城にあった御主殿の滝で自ら命を絶ったのです。八王子城の落城は小田原にいた城主の氏照はもちろんのこと、北条氏の人々にも大きなショックを与えました。小田原の北条氏は豊臣秀吉に降伏して、7月11日、氏照らは切腹しました。こうして、北条氏は滅亡しました。
●日時:2014年(平成26年)10月19日(日)10:00~16:00
●会場:元八王子小学校・元八王子中学校
●パレード:高尾街道(元八王子2丁目~元八王子小学校)
●スケジュール:
<元八王子小学校校庭>
10:30~ 開会式
太鼓演舞(小鉄太鼓)
よさこい踊り(踊乱花)
いちょうの会(跳天)
13:00~ ゆりーと音頭(弐分方小)
バトン(グローアップバトンクラブ)
太鼓演舞(唐獅子太鼓)
14:30~ 武者出陣式
民謡踊り(各町会)
15:45~ 閉会式
模擬店
焼きそば、お好み焼き、芋煮、焼き鳥、綿あめ、ポップコーン、ジュース、ホットドッグ、たこ焼き、まんじゅう、輪投げ、防災グッズなど
<元八王子小学校体育館>
10:30~
吹奏楽(元八中)
ハンドベル演奏(四谷中)
13:00~
吹奏楽(城山中)
フラダンス(フラ・ハラウ)
吹奏楽(富士森高校)
太鼓倶楽部(星槎高校)
<パレード(高尾街道)>(元八王子2丁目から元八王子小学校)
13:00~14:30
北條氏照の武者・甲冑行列
八王子女性防火協会
八王子市消防団音楽隊
交通安全協会
防火・防犯協会
武者行列隊
小田原隊、寄居隊
滝の城隊、津久井隊
八王子隊
●主催:
元八王子地区町会自治会連合会
●協力:
元八王子地域住民協議会
JA八王子 元八王子支店
八王子市レクリエーション協会
●後援:
八王子市
八王子市教育委員会
八王子市学園都市文化ふれあい財団
八王子観光協会
八王子商工会議所
八王子青年会議所
東京八王子ロータリークラブ
高尾防犯協会
高尾交通安全協会
八王子市町会自治会連合会

場所 | 高尾街道(元八王子2丁目~元八王子小学校)・元八王子小学校 |
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日時 | 2014年(平成26年)10月19日(日) |